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実は「神かけての誓い」ではないフェアノールの誓言
シルマリルを読んでいて気付いたのだけど、フェアノールはシルマリル奪還の誓いを立てた時エル・イルーヴァタールを証人に立てていないようだ。以下本文引用。
たとえイルーヴァタールの御名によろうと、何人もこれを破ること、あるいは取り消すことのできぬ誓言を立てた。これを守らぬようなことがあれば常間に呑まるべしと言い、マンウェの名を呼んで証人になり給えと言い、ついでヴァルダの名を、そしてタニクウェティルの聖なる山を証人に頼み、……
クウェンタ・シルマリルリオン――シルマリルの物語_第九章 ノルドール族逃亡のこと
このように、フェアノールは誓言を打ち立てるにあたってイルーヴァタールの名は出していない。かれが最も堅く打ち立てたかった誓いに、最も重き名をフェアノールは使わなかった。誓いの重さとフェアノールの激情性を鑑みるに、使いたかったろうに。
ならば使いたくても使えなかったのではないかと推測できる。それはなぜだろう。フェアノールはノルドール上級王フィンウェの嫡子であるというのに?
手掛かりとなるエオルの誓い
実際のところ、どういった理由でフェアノールが(どうあっても破棄させたくないだろう誓いにおいて)イルーヴァタールにかけての誓いを立てなかったのかは分からない。
しかしそのヒントとなりそうな文面が「終わらざりし物語」に載っている。エオルの誓いを承認する執政キリオンの文言と、それに関する注釈だ。
この誓いは、星の国の栄光と、西方の王座に坐る方々とあらゆる玉座の上に永久に君臨する唯一なる神のもとに御座す節士エレンディルの忠誠とを記念して成すものである。
第三部◆第三紀_Ⅱ キリオンとエオル、およびゴンドールとローハンの友情
このような誓いは、エレンディルその人がエルダールの王ギル=ガラドとの同盟を誓ったとき以来、中つ国では聞かれたことのないものだった。
そしてエレッサール王が帰還し、同じ場所においてエオルの十八代のちのロヒアリムの王エオメルと絆を新たにするまで、このような誓いの言葉が使われたことはなかった。エルを証人となすために降臨を求めることのできるのは、法的にはヌーメノールの王のみに与えられた権利であり、それも極めて重大かつ厳粛な誓いの儀式においてのみである。ヌーメノールの王の血統はアル=ファラゾーンがスーメノール没落時に命を落として一度途絶えている。だがエレンディル・ヴォロンダは四代目王タル=エレンディルの末裔であり、王たちの反抗に加わらず、ヌーメノール滅亡から逃れえた節士派の正統な統率者であった。キリオンはそのエレンディルの裔の王を代行する執政であったが、ゴンドールに関する限り、王の権限のすべてを代行できた――王帰ります時までは。
第三部◆第三紀_Ⅱ キリオンとエオル、およびゴンドールとローハンの友情 注釈44
キリオンが用いた言葉とそれに対する注釈から、「ヌーメノール王」はイルーヴァタールを証人とした誓言を立てることが可能であることが分かる。そしてそれを行ってよいのは「極めて重大かつ厳粛な誓いの儀式においてのみ」。
ゴンドールの執政キリオンはヌーメノール王の正当な代行者で、かつエオルの誓いを以てのカレナルゾン割譲と永遠の同盟締結は間違いなく「極めて重大かつ厳粛」なものであった。だからキリオンはエオルの誓いをアルダで最も強力な形で承認できたのだろう。
当然ながらフェアノールはノルドール王家であってヌーメノール王家ではない。そしてシルマリル奪還の誓いは個人的な動機によるものだ。だからフェアノールはイルーヴァタールを証人にはできなかったのだろう。
それに、どちらせにせよエルダールはイルーヴァタールを証人に立てての宣誓は行えないのかもしれない。エダインとエルダール間の同盟に関しては「エレンディルその人がエルダールの王ギル=ガラドとの同盟を誓った」と著されている。
「ヌーメノール王の正当な末裔エレンディルが」「イルーヴァタールを証人として」同盟を誓ったのだと、筆者は思っている。中つ国最後のエルダール上級王ギル=ガラドが、ではなく。
ギル=ガラドですら神かけての宣誓を行えないのか、と結構驚きに思う。
イルーヴァタールへの宣誓は限られた権利?
イルーヴァタールへの宣誓がどうにも相当に限られた権利らしいのは、トールキン教授がカトリックだったからだろうか。カトリックでは、重要な儀式(秘蹟)を行うことができるのは司祭だけという厳格な掟がある。
カテキズムの教科書にも以下の通りに書いてあるのだから確かな話だ。
地上で典礼を挙行するのはだれですか。
カトリックの教え カトリック教会のカテキズムのまとめ
典礼においては参加者全員が挙行者になります。受洗の時に受けた祭司職の資格キリストのからだをつくる全メンバーに共通しています。しかし、神秘体のかしらキリストに代わって典礼を挙行するのは、叙階の秘跡を受けた者にかぎります。
叙階の秘跡を受けた者、とは司祭のことだ。司祭は秘蹟を執り行うことができる。そしてヌーメノール王は「極めて重大かつ厳粛な誓いの儀式」で「神を証人に立てることを許されている」。
以上の情報を踏まえ、ヌーメノール王およびその末裔は中つ国における司祭なのであろうと筆者は推測している。
秘蹟は「魂に焼き印を押すようなもの」
カトリック教会における秘蹟とは、一生に一度の、覆せない神かけての宣誓のことだ。
種類は7つ。洗礼・堅信・聖体・結婚・告解・叙階・終油だ(聖体・告解・終油は何度でもやってよいのだが)。これを執り行えるのは、よほどの緊急時でない限り司祭だけとされている。
さて、筆者は先程「ヌーメノール王、およびその正当な末裔は司祭としての権限を持つのではないか」と考察した。ヌーメノール王だけが厳粛な儀式においてのみ神を証人に立てた誓いを立てることができると。
ではその形式で以て締結された最後の同盟とエオルの誓いの重大さは(トールキン教授がカトリック教徒であったことを踏まえると)、秘蹟と同等格なのではないだろうか?
では最後の同盟とエオルの誓いとは、七つの秘蹟のどれに該当するのだろう。
個人的には、最後の同盟とエオルの誓いに似た秘蹟は「結婚」であると思う。というのも、「神の名のもとに両者を結び付ける」のが結婚の秘蹟だからだ。結婚以外の秘蹟は1人で神に宣誓する。
エダインとエルダール、ゴンドールとローハン、あなた方って既婚者だったんですねえ。とちょっと思った。
連れ子の養育義務
「最後の同盟」は、ヌーメノーリアンとエルダールの結婚みたいなものである……というところから、エルロンド卿が北方王家の遺児を保護・養育する理由が見えるかもしれない。
最後の同盟において「ヌーメノーリアンとエルダール」は正式に結び合わされた=「結婚」した。代表者はエレンディル(ヌーメノール遺民の代表者)とギル=ガラド(中つ国エルダールの代表者)。
結婚したからには互いの連れ子の養育は義務であろう。そしてエルロンド卿はギル=ガラドの副摂政であったので、ギル=ガラドの「結婚」から生じる義務を引き継いでいるのではないだろうか。
アラゴルンやその先祖たちはエレンディルの子孫であるから、「パートナー」であるギル=ガラドの後継者であるエルロンド卿には「結婚相手」の子供達を保護養育する義務が生じる……のかもしれない。
もちろん兄弟エルロスの子孫たちを見守ろうという気持ちからでもあるだろうけど、イルーヴァタールへの義務(無視したら破滅確定)もエルロンド卿には課せられているのではないか?
裂け谷における北方王統の遺児養育にはそんなエルロンド卿の好意と義務に理由が……あったら筆者は楽しい。
まあ最後の同盟は中つ国のエルダールの代表者が立てた誓いであるので、ヌーメノーリアンとの同盟・保護は中つ国の全エルダールに薄っすら課せられた義務である気もするけれど。
実はエレスサールの代に至るまでは独立国(仮)だったローハン
筆者は、最後の同盟は正式な結婚の秘蹟だったろうが、エオルの誓いは婚約みたいなものだったのではないかとうっすら考えている。まあ最終的には全承認されたから、長い婚約関係後の正式な結婚というか。
キリオンは執政であり王ではなかったため、正式な司祭ではないだろうと思う(助祭?)。助祭は叙階されておらず、秘蹟を執り行えない。であるからキリオンによる「結婚の秘蹟」は「婚約」ぐらいの拘束力だったのではないだろうかと思う。
それでもイルーヴァタールに対して「お互いを裏切らないことを約束します!」って宣言している以上裏切ったら裏切った方は滅ぶのだろうけど。
そしてヌーメノール王統の裔、正式な司祭であるところのアラゴルンは婚約破棄、即ちエオルの誓いの取り消しが可能だったのではないかなと思う。
そして、もしかれにその気があるならば、かれを王となし、そしてまた世継たちとその民も、執政家の権限が続く限り、偉大なる王還ります時まで、自由に住んでいただくこととする。
第三部◆第三紀_Ⅱ キリオンとエオル、およびゴンドールとローハンの友情
この通り、キリオンの提案には「王還ります時まで」の制約が掛かっている。王が帰還すれば提案は白紙撤回もあり得た。
そこら辺の想像を踏まえると、エルロンドの会議におけるアラゴルンのローハンへの懐疑的意見に背筋が冷える。本当にローハンがゴンドールを裏切っていたら誓いを破棄するつもりだったのだろうなあと。
「それにしても、サウロンがこのような貢物を取り立てているという話は、もっと悪いと思われる知らせにもまして、聞くに忍びないことだ。この前、わたしがあの国に行った時はそうではなかった。」
旅の仲間『エルロンドの会議』
ロヒアリムを知るからこそ堕落していたら悲しいし、誇り高きエオルの誓いが踏みにじられていたら苦しい。そう考えると確かに『聞くに忍びない』こと。
しかし裏切られていたなら、カレナルゾンの割譲は無かったことにしなくてはならない。自国首都の近くに敵対する騎馬民族なんていう危険物はとても置いておけないから。
まあ実際はローハンは裏切らず、ペレンノール野に来てくれて、エオルの誓いの正式な全承認(=正式な結婚)まで至ったんだけども。
というわけで、ゴンドールとエオセオドの関係は長い交友関係→長い婚約期間→正式な結婚というものだったのでは? と思うに至った。
一市民としては、長い友人関係から発展した、お互い上手くやっていけるかの長いお試し期間を経たあとの結婚ならまあ破綻しなさそう、という気分。
雑談1:未来は賢者にも見通せぬもの
しかし疑いが妥当だったとはいえ、アラゴルンの台詞は後から考えると少しおかしみを覚える。
あなたからサルマンのことを聞いて以来、わたしにはそのローハンの道は安全とは思えない。マークの軍団長たちが今はどちら側に仕えているか、だれにわかろう。
旅の仲間『指輪、南へ行く』
その軍団長、後のあんたの親友にして同盟相手なんだよなあ、と。映画「ホビット」においてのレゴラスの行動を見た時の気持ちになる。
雑談2:未来が不確定と思えばこそ、立ち上がれるものではあるのだが
中つ国において「誓い」はあまり良い結果をもたらさないものである。その根がどこにあるかは分からないが、参考になりそうな聖書の言葉がある。
「またあなたがたも聞いているとおり、『偽りの誓いを立てるな、主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
マタイによる福音書 5:33-37
未来は誰にも分からないし、それを操作することもイルーヴァタール以外には出来はしない。そんな、本来(被造物には)不確定である未来を確定させようとしたフェアノールの誓いが悲劇をもたらし続けたのも、そういった無理が根本にあるからなのかもしれない。
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