この記事は「上」の記事内容を前提としたものになります。できれば「上」の項からお読みください。
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人間性と運
人間性とは聖別の油であり、可燃物質であり、原罪であり、欲望を引き起こすもの(もしくは欲望そのもの)ではないだろうか?
というのが上の項で管理人が提示した仮説である。しかし管理人はまだ仮説の全てを語り終えてはいない。多面過ぎるぞ人間性! いい加減にして欲しい。
この記事で提示したいのは人間性と運の関連だ。有名すぎるので今更だが、人間性は渇望であり、欲しいものを得るために必要な力「運」でもある。今まで滔々とキリスト教知識を用いて人間性を分析してきたが、渇望については仏教の方がより詳しいだろう。
なぜかと言えば仏陀が見出したまことの事(=仏の教え)には「人生は苦である。その苦の根本には執着がある」という思想が根幹にあるからだ。そのため「執着とは何か?」という分析も恐ろしいほどの明晰さでなされている。
それがどのようなものかはこれから説明したい。しかし一番よいのは参考にさせて頂いた作品を読んで頂くこと。お坊さんの作品なのでとても詳しく分かりやすい。お勧め。リンクはいつも通り「情報元」欄に貼っておくので、是非読んで頂きたい。
渇愛
では解説に入ろう。
仏陀は「苦からの脱却」を目的として、どうすればそれが実現できるかを考え抜いた。そのためにまず「人生の苦しみ」は何によって起きるのかを見定めたという。
それすなわち「老病死」。大雑把には老いること、病むこと、死ぬことが人生の苦しみの元であると。そして仏陀はさらに考えを進めた。人はなぜ老い、病み、死ぬのか。
それは「生きているから」である。
身も蓋もない。
しかし生きている限り苦しいのは仕方がないよ、では終わらないのが仏陀の思索だ。仏陀は更に考えを深めた(それに仏陀は輪廻思想を持つ人であったし、自殺したところで生まれ変わるので意味がないとも考えたのかもしれない)。
いやでも君……
聖☆おにいさん 9巻
大学を浪人した上 人生も浪人とか――…
その方がめんどくさいよ?
「生きていれば苦しい」から仏陀はどう思索を深めたか。これについては参照元がすでに完成形なので、そのまま引用させて頂きたい。
『苦 (ク)』の原因は『老病死 (ロウビョウシ)』、『老病死』の原因は『生 (セイ)』ときて、『生』の原因は――
やる夫・シッダールタが目覚めた人になるようです 第七話 「正覚」
『有 (ウ)』ってとこかお? 迷いの輪廻の中に『有る』ことそのものが原因だお。
『有』の原因は――そう、迷いの世界にやる夫たちを繋ぎとめる『何か』によるはずだお。
やる夫・シッダールタが目覚めた人になるようです 第七話 「正覚」
仮に『取 (シュ)』とでも名づけるかお。 六道輪廻の世界でやる夫たちを迷わせるはたらき――
それを無視できないのは――
やる夫・シッダールタが目覚めた人になるようです 第七話 「正覚」
無視できないのは――
きっと、
きっと――
――――この世界が、苦しいばかりじゃない。こんなにも愛おしいものだから、なんだお……
「生きていれば苦しい」のは「生きることを愛しているから」。この答えに管理人は心を打れる。愛しているから離れるのが苦しい、愛しているから手に入らないと苦しい、愛しているから何とか縋り付こうと苦しむ……。その愛を、仏陀は「渇愛 (カツアイ)」と呼んだ。
『渇愛』ありて『取』あり、『取』ありて『有』あり、『有』ありて『生』あり
やる夫・シッダールタが目覚めた人になるようです 第七話 「正覚」
『生』ありて『老病死』あり『老病死』ありて『苦』あり。
これで、因果が繋がったお。
この川は流れていく、この葉は落ちていく。
やる夫・シッダールタが目覚めた人になるようです 第七話 「正覚」
やる夫の足元にある大きな岩だって、いつかは砕けて土に還るんだお。
なのに。人に、世界に、すべてに愛着し“すぎる”が故に――
人は、いつか来る別れを忘れてしまう。
そんな、道理に合わない心の働きこそが――やる夫の、相対すべきものだったんだお。
以上が、仏教における渇愛(執着・渇望)の役割だ。心を持つということは、それだけで苦しいことなのかもしれない(心があるからこその喜びもまたあるが)。しかしそれへの対処法はすでに仏陀が用意しているので、そんなに怯えることはないだろう。心強いことだ。
現実改変能力(弱)
さて話をダークソウルの人間性に戻そう。
魔術「追う者たち」のテキストによれば、人間性の闇に与えられた意志は「羨望、あるいは愛(envy, or perhaps love / 羡慕或爱恋)」であるそうだ。
深淵の主マヌスの魔術
人間性の闇に仮そめの意志を与え放つもの与えられる意志は人への羨望、あるいは愛であり
その最期が小さな悲劇でしかありえないとしても
追う者たち
目標は執拗に追い続ける
Sorcery of Manus, Father of the Abyss.
Grant a fleeting will to the Dark of humanity, and volley the result.The will feels envy, or perhaps love, and despite the inevitably trite and tragic ending,
Pursuers
the will sees no alternative, and is driven madly toward its target.
深淵の父、マヌスの妖術。
人間性の闇につかの間の意志を授け、その結果を一斉に発射する。
その意志は羨望・嫉妬、またもしくは愛を感じ、その必然にして陳腐なる悲劇的な結末にもかかわらず、
意志は他の道に目もくれず、気が狂ったかのように目標に向けて追い立てられる。
深渊之主马努斯的魔法,
能将人性黑暗面暂时赋予意志施放。那被赋予的意志是对人的羡慕或爱恋,
追踪者
即使结局只会是一个小小悲剧,
仍旧执着地追寻目标。
深淵の主マヌスの魔法、
人間性の暗く醜悪な側面に暫時の意志を与え、発射することができる。
賦与された意志は人に対する羡慕・羨望あるいは恋い慕う思い・愛であり、
たとえ結末がただ一個の小さな小さな悲劇であったとしても、
依然として目標を追尋することに執着する。
欲しいものを執拗に追い求める意志。それはなるほど渇望、執着と呼べるものだ。そして渇望を育てれば苦もまた育つ。だからこそ、その最期は悲劇でしかありえない。しかしその渇愛こそが人間の心の本質なのかもしれず。苦しく悲しいことではあるが。
しかしそれもまた人間性の一側面なのだろう。
だがそれだけでは終わらないのが人間性の面倒くささ。執着する気持ちだけならただの心の動きとして片付けられようが、人間性は溜めるとアイテム発見率が上昇する。それは言い換えれば欲求に応じて「欲しいものが手に入るように」現実を改変する能力だ。
大事である。
つまりダクソ人類の数だけ現実改変者がいるということだ。グウィンらがダクソ人類に対して何重にも封印を掛けるのも当たり前である。神々に少し同情したい。財団と違って神々には「終了」の手段すら無いのだから(人間性、というか物質は不滅であるので)。
「終了」させられない現実改変者の群れ。端的に言って[削除済]である。ダクソ神族が人間性を恐れるのは当然のことと管理人には思われた。
自由意志と人間性
そして「人間性の側面の1つが可能性、不確定の未来である」という意見がある。一神教的な言い回しでこれを言い換えてみれば「人間性の側面の1つが自由、自由意志である」となる。
自由意志、という言葉が出てくるのなら対の言葉も出さねばなるまい。それは「運命」、イスラーム的に言えば「定命(ていめい)」と呼ばれる、定められた道行きだ。
全知全能の神を信じる一神教徒にとって運命論と自由意志は常に議論の的となる難題だ。
神は全知全能であるから全てのものの行く先はすでに定められている。
しかし運命がすでに定められており覆し得ないなら人間の自由意志に意味など無いではないか、と。
まあ、凡百な人間の頭でどうにかできる問題ではないのでここでは深入りを避ける。避けさせてくれ。一応カテキズムの教科書には「自由」に関する項目もあるが、書かれている以上のことは管理人には分からない。
222 自由とは何ですか。
カトリックの教え カトリック教会のカテキズムのまとめ_人間の召命、霊における生活
自由とは、何をするかしないか選べる能力です。つまり、熟慮したうえで何かをする、あるいは、しない、この能力が「自由」です。自由が最高善である神に向けられるとき、自由な行いは完全なものとなります。
223 神はなぜ人を自由にしておられるのですか。
カトリックの教え カトリック教会のカテキズムのまとめ_人間の召命、霊における生活
神が人に「自分で判断する力をお与えになった(シラ書15・14)のは、人が自らの意志で造り主に従い、それによって完全な幸せに至るためです。
とりあえずカテキズム上、自由/自由意志は存在する。それ以上は言えない。
そしてキリスト教文脈が取り入れられているダークソウル世界には運命が存在している。ゲームシステムという形で。
ゲームシステム以上のことをすることができない、選べないのが「運命」に囚われたダクソ神族であり、彼らは人間性を持たない。
ゲームシステム以上のこと、もしくは製作者の思惑すら超えたことを「する/しないことを選べる」のがダクソ人類であり、彼らは人間性を持つ。
ダクソ神族は「アストラの直剣だけで主人公を倒してやろう!」という行動を選べないけれど、ダクソ人類は「焼きごてだけでボスを倒してやろう!」という行動を選べる。
ここで言う「自由」とはそういった感じのものだ。
ついでに言えば「アス直縛り」とか「焼きごて縛り」とかいった忍耐力が狂気の域に達した自由な行為を主人公に実践させるのは上位階層(メタ階層)に存在するプレイヤーである。
であるので人間性はプレイヤー自身でもあるのだ。
運命(ゲームシステム、ストーリー展開)は確固として存在しつつ、そこでなお「何をするかしないか」を主体的に選択できる自由意志が働く余地がある世界。
ダークソウルの世界とは、そんな風に運命論と自由意志が上手いこと併存している世界なのじゃないだろうか。
まとめ
この文に記載した情報をまとめれば以下の通り。
人間性とは聖別の油であり可燃物質であり原罪であり欲望を引き起こすもの(もしくは欲望そのもの)
生命を輪廻の環に閉じ込める渇愛であり、(わずかながらも)現実改変の能力を持つものであり
そして可能性、自由そのもの、プレイヤー自身のことでもある。
一体人間性とは何なのだろう。いろんな人のいろんな意見を聞いてみたいものだ。ちなみに管理人はこの項を書きながら何故かナウシカの言葉を思い出している。
私達の身体(からだ)が人工で作り変えられていても 私達の生命は私達の物だ 生命は生命の力で生きている
風の谷のナウシカ 第7巻
その朝が来るなら 私達はその朝にむかって生きよう
私達は血を吐きつつ くり返し くり返し その朝をこえて とぶ鳥だ!!
生きることは変わることだ 王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう 腐海も共に生きるだろう
だがお前は変われない 組み込まれた予定があるだけだ 死を否定しているから……
余談1:「原罪」を定めたのは誰だ?
しかしダクソ世界での「原罪」って、誰に対しての罪なのだろう。原罪が罪なのはイエスのお父さんとの約束を破ったから。というかイエスのお父さんが罪だと定めたからである。
正当な権威が罪と定めなければ罪は罪ではない。論理的には。ダクソ世界に「原罪」があるのなら、「人間性を持つこと」もしくは「人間性そのもの」を大罪だと定めた誰かがいる気がする。
それは誰だろう? やっぱり罪の女神ベルカ? それとも(深淵の)主にしてFatherであるマヌス? 主神、Allfatherの名を持つロイド? 分からん。
余談2:罪の火と人間性
罪の都が火熾しに成功していた可能性について妄想している。はじまりの火とはまったく別種の火が熾されていたのかもと。
火が燃え広がるというのは可燃性物質から可燃性物質に火が渡っていくこと(多分)。罪の火が人間だけを焼いた、燃やした、というなら人間だけにある可燃性物質(人間性)に燃え移ったということかもしれない。
罪の火の燃料は人間性なのだろうか? どうやってその火を熾したのだろう。
また「人だけを焼いた」なら、人間性以外は罪の火にとっては非燃性物質なのかもしれない。そこら辺は薪の王たちが持っている火と似ている気がする。
監視者第二形態の足下には植物が生えているけれど、監視者の体から吹き出している火は足元の草を燃やさない。あれだけの火力なら乾いてない植物でも燃えそうだけども。
薪の王たちが纏い、使いこなしている火は「人間性の火」なのかもしれないなあ。
ついでに「罪の都」という名前について。
人間性を何らかの方法で燃焼させた人間性の火を「罪の火 the Profaned Flame(冒涜された炎)」と呼び、人間性の火を熾した街を「罪の都 Profaned Capital(冒涜された都)」と呼ぶと仮定してみる。すると人間性は原罪であり、原罪を燃やすということは大罪を燃え立たせるということに。
神が定めた罪を燃え上がらせる、目覚ましく活動させる。それはまさしく「罪」であろう。ゆえに原罪を盛んにした街を「罪の都」と呼ぶ、のかもしれない。
情報元
深淵の主マヌス – ロードランを訪ねて
闇の飛沫 – DARK SOULS ダークソウル攻略Wiki
アン・ディールの槌 – ダークソウル2世界観wiki
北の祠祭の指冠 – ダークソウル2世界観wiki
南の祠祭の指冠 – ダークソウル2世界観wiki
闇の貴石 | ダークソウル3攻略データベース
DARK SOULSⅢ/武器/松明 – BLADE & GRENADE
DARK SOULSⅢ/武器/特大剣 – BLADE & GRENADE
Pursuers | Dark Souls Wiki | Fandom
Pus of Man | Dark Souls Wiki | Fandom
Profaned Capital | Dark Souls Wiki | Fandom
Profaned Greatsword | Dark Souls Wiki | Fandom
黑暗之魂1法术
ピエタ (ミケランジェロ) – Wikipedia
渇愛 (仏教) – Wikipedia
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