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我なるもの
ダクソ世界における「私(自我、ego)」なるものは火の産物なのだろうなあとは思う。差異そのものだし。
という思い付きから始まるぐだぐだ話をまとめておく。
ダークソウルの神族とソウルと自我
ダクソ神族は「闇から生まれた小人的な何か」+「強い火の力(強いego?≒強大なソウル?)」で成り立ってるのかも? と今のところは思っている。ダクソ神族とソウルの関係は、ハガレンのホムンクルスと賢者の石みたいなもんでないかとも。ソウルが本体。
ただ神族はホムンクルスや賢者の石ほどはっきりとした実存ではなさそう。
ソウルが消失しない限りダクソ神族は死なないのかも? とも思ったけどもダクソ2見る限りそうでもなさそう。ソウル=自我、ではないのかもしれない。
ダクソ神族の実存の存続は、かなりの程度他者によって物語られる/観測される/定義される事を必要とする気がするなあ。でも自我ってそんなもんかもしれん。我と彼を隔てる境界線を自我と呼ぶのかもしれないし。
なるにぃさんが言ってたけど、ダクソ神族って精神体なんじゃないかと思う。というか色々考えてそう思えてきた。そこに私なりの解釈を闇鍋ノリでぶち込むなら「ダクソ神族は、他者からの観測によって実存を存続し得る、精神体の生き物」。認識論だあ。
誰にも観測されずに木が倒れたなら、「木が倒れた」という事象は存在しないのである。
ああそうか、事象なのだ。化学反応なのだ。現象なのだ。物質ではないのだ。確固たる実態ではないのだ。まさしくダークソウルの神々は火なのだ。ゆえに永続しないのだ。なるほど。
アルトリウスと不死隊と哲学的ゾンビ
ソウル(他者による観測によって定められた「自我」、「私」、「ego」)がダクソ神族の本体かもしれない、という話の続き。
ソウルさえ無事ならその神族は「生きている」。主人公がそのソウルを回収できるアルトリウスも「生きている」……はず。本体である自我は崩壊寸前、文字通り死の淵だけども、死んではいない。アルトリウスという一過性の現象はまだ収束していないのだ。
さて、主人公によって回収されたアルトリウスのソウルがどうなったかはよく分からない。個人的にはキアラン経由で不死隊全員に行き渡った説を推したい。そういう人の重苦しい情念話、管理人は大好きなので。
瀕死の神様のソウル(自我、「私」、ego)を個々に自我を持つ不死隊隊員達が飲んだ。さあ、ややこしくなってきましたよ。
アルトリソウルが隊員個々人の中にあって分断されているのならまあいいだろう。他者の自我の欠片が自分のソウル(自我、「私」、ego)の中にあるけれど、それは本当に欠片であって隊員の自我に浸食する程の量は無さそうだし。問題はアルトリウスのソウルが統合された時だ。
深淵の監視者第二形態になる時、不死隊が持つソウルが1人の中に集められる。その統合されたソウル(自我、「私」、ego)は不死隊全員のものでもあるだろうし、ほとんどの欠片が集められ元に戻ったアルトリウスのものでもあるだろう(ホークウッドが持つ一滴が足りないが、まあ些細な話だ)。
しかし深淵の監視者第二形態のあの体を動かしている「私」は誰なのだろう? 不死隊全員? アルトリウス?
どっちのソウル(自我、「私」、ego)も混ざり合って1つになっているからそこはもう分かりゃしない。可能性∞のシュレーディンガー思考実験だよコレ。ついでに哲学的ゾンビ問題も掠める。本人でない者には分からない。
1つに統合された不死隊の/狼血の ソウルを持つ人の自我は誰のものか? 自我は外部から観測し得ないから分かりゃしない。だからこの物語を知る人、語る人、解釈する人次第でどうとでも語ることができる。
観測者ごとに確定する謎の解、しかし観測者は他者であるため箱の本当の中身は知り得ない。なのでそこら辺は本当に自由に解釈していいところなんだろうと思う。
サンキューフロム。ロールプレイの幅が広がるぜ👍
参考サイト
【漫画】下校時刻の哲学的ゾンビ | オモコロ(https://omocoro.jp/kiji/64616/)
火 – Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB)
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